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匂いの記憶

 匂いは記憶を喚起する力がとても強いと言われている。とくに私の場合、匂いの記憶は季節の記憶と強く結びついている。その匂いをかいだ途端、その匂いに関連付けられた過去(おもに子供の頃)の風景が、季節感を伴って鮮やかに脳裏に蘇ってくる。私の好きな記憶の中の匂いをほんの少しだけ集めてみた。

 雪の匂いは確かにある。昔あるネット会議室でこの話をしたら、ある人にそんな匂いなど存在しないと一蹴されたことがあるが、もちろん私のいう「匂い」は広い意味での匂いだ。本来の科学的な匂いの定義には当てはまらないかもしれないが、それを匂いとして感じるのである。この匂いの存在に関しては私だけでなく、多くの人が言及している。冬の朝、寝床で目覚めたとき、匂いで雪が積もっているのがわかったものだ。

小鳥 セキセイインコやヒヨコを飼っていた方は経験あると思うが、鼻を近づけてにおいをかぐと、日向の匂いのような、干し草の匂いのような、なんともいえないいい匂いがする。ただし、あまり接近しすぎると鼻をつつかれる。

稲田をわたる風 青々とした葉を風になびかせる夏、あるいは黄金色の稲穂をさも重そうに風に揺らせる秋、それぞれに違ったにおいだが、私はこの稲田の風の匂いが大好きだ。植物系の匂いにはいい匂いのものが多いけれど、イネ科の植物の匂いはどれもみなすがすがしい。
 子供の頃、オヒシバ(イネ科)を燃やして、その煙の匂いをかいで楽しんだものだが、餅が焼けるときのような匂いがした。

落ち葉 このにおいに包まれながら、落ち葉の降り積もった野山の小径を歩くのは至福のひととき。動物は死ぬと不快なにおいを発散するのだが、植物は死んでもいいにおいを残す。落ち葉と一言で言っても、種類によってもちろん匂いも違ってくる。なかでも針葉樹、とくに杉の枯葉や松の枯葉などはすばらしい。
 ある本に、カツラ(カツラ科)の枯れ葉がとても甘いにおいを発散すると書いてあったが、私はまだ体験していない。今度試してみようと思う。
 また、これらの落ち葉を集めて燃やした落ち葉焚きの匂いも、郷愁を誘う懐かしい匂いだ。杉や枯れ松葉を燃やした時など、お香の香りに通じるものがある(原料そのものともいえるが)。

新緑 春の野山の新緑の香りもすばらしい。春は秋と違って、木の花のにおいなども複雑に入り交じり、とても官能的。

ツツジ 植物系の匂いといえば、私は5月になるといつも漂うツツジの匂いが大好きなのだが、ツツジの匂いについて触れた書物にお目にかからないのがとても不思議だ。バラやキンモクセイのような、自己主張する匂いではなく、とても控えめで清々しい匂い。あの匂いは花の匂いなのか、あるいは植物体全体から匂ってくるのかよく分らなかったけど、花の時期以外には匂わないところから考えると、やはり花自体のにおいなのだろう。

キンモクセイ 秋の住宅街や公園を歩いていると、この香りで木の存在に気づく。
 ところで、私の子供の頃の記憶では、秋祭りとキンモクセイの香りが強く結びついているのだが、故郷の秋祭りとキンモクセイの開花時期がどうにも合わない。いつの間にか記憶の中で勝手に結びつけてしまったのか…。

カイヅカイブキ 植物でもうひとつ好きなのは、生け垣などによく使われているカイヅカイブキ Juniperus chinensis cv. pyramidalis 【ヒノキ科 ビャクシン属】。閑静な住宅街などを歩いているとき、生け垣からあのさわやかで気品に満ちた匂いが漂ってくる風情はなかなかのもの。

新しい教科書 小学校などで新しく支給されたばかりの教科書や地図帳などの匂い。もっとも、匂いは好きだったけど、教科書の中身はあまり読まなかったような気がする。なので私の教科書は使い終わってもまだ綺麗なままだった(笑)。
 教科書、地図帳、辞書など、本の種類によっても微妙に匂いが違っていた。おそらくインクや紙の質の違いによるのだろう。いま試しに本棚にある古い英和辞典をぱらぱらとめくって風を起こしてみたが、古本屋のような古い匂い(これも好きな匂いではある)がするだけで、あのなんともいえない芳しいにおいはしなかった。

水蜜桃 夏の味覚、水蜜桃(季語では秋)の香り。食べたあと、指に爽やかな香りが残る。最近は水蜜桃にはとんとお目にかからなくなったが。そういえば、スイカの香りもすがすがしい。ザクッと包丁を入れた瞬間、あのウリ科独特の青々とした香りが部屋いっぱいに広がる。こちらも指に香りが残る。

炭火 昔は冬の風物詩だった。あのパチパチとはぜる火花や音とともに、匂いも懐かしい。

 墨をすったときに立ちのぼる香り。書をたしなむ人はこの香りで心を落ち着かせるという。

かんなくず 建築現場などを通りかかると、真新しい木の香りが辺り一帯に漂っている。地面にうずたかく積もったかんなくずを思わず手ですくってみたりして。

年の瀬・正月準備 かんなくずで思い出したわけではないけど、年末、家中に漂うカツオ出しの匂い。幸せなひとときだ。

その他 野球の新しいグローブの匂い/古い蔵の中のひんやりとした匂い(カビの臭い?)/古書店のにおい(図書館にもこの匂いはある)/夕立が降り始めたときに立ちのぼる土の匂い/不易糊の匂い(ただし現在の製品にはこの匂いはしないような気がする。残念)/油絵具の匂い/磯の香り/魚や重油などの混じった漁港独特のにおい/クレパス(商品名)の匂い/石油ストーブの(完全燃焼しているときの)匂い/夏の早朝の蚊取り線香の残り香/セメダインの匂い/梅雨時の空気の匂い

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